孫であった全ての皆様に、また、お孫さんのいらっしゃる方に、孫としての私の懺悔を聞いていってもらえたらと思います。
先日、子どもの頃に祖母から買ってもらったオルゴールのことを書かせていただきました。
オルゴール記事を書いたその時は祖母への感謝の気持ちだけ思い出していました。けれども自分で書いた記事を読み返しているうちにひとつ、私の心に後悔の念がくすぶっているのに気づいたのです。
小学校の4年生の時…今から半世紀以上前のこと。
私の家は、母屋の後ろに増築した離れがありました。
家族が普段生活するのは母屋。
母屋でご飯を食べたり、団欒を過ごしていました。
当時、姉は短大在学中で寮に入っていたので、我が家は、両親・祖母・私の4人でした。
田舎の家は、ちょっと不便なつくりだった
夕食を食べ終えると、祖母は離れの自室に引き下がるのが日常でした。そして母がデザートにりんごや梨を剥いて出すと、祖母の分を離れに運ぶのはいつも私の役目。
昔の田舎の家は、現代では考えられない不便なつくりだったのです。
だいたいいつも素直に運ぶ私。
なのに、なぜかその時は母に口ごたえをしてしまったのでした。
「いつもお婆ちゃんのところに持っていくのは面倒くさいから嫌だ!」
母も売り言葉に買い言葉だったのでしょう、すぐさまいい返しました。
「いつも可愛がってもらっているのに、そんなことを言うのか。だったら、自分でお婆ちゃんにそう言って来たら?」
愚かな子どもだった私は、すぐに祖母のところに行き、「面倒くさいから、持ってくるのは嫌だ」と言ってしまいました。
その時の祖母の反応が、コトの大きさを表していました。
忘れられない、祖母の返答
きっと孫の心無い言葉に心を打ち砕かれたのでしょう。祖母は言いました。
「今まで可愛がってやったのに……死んでもその言葉は忘れない……」と。
衝動で言ってしまった言葉は、なんて残酷なセリフだったんだろう。なんで面倒くさいだなんて私は祖母に言ってしまったのか。できることなら、あの言葉をまた私の口の中に戻したい!
でも一度放ってしまった言葉は元には戻せません。
夜、祖母に謝った私
しまった!と思った私は、その夜寝ている祖母の枕元で祖母に謝りました。おばあちゃん、ごめんなさい、と。
私の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのかは、わかりません。
祖母からの返事はありませんでした。
きっと寝たフリをしていたのだと思います。
翌日からまた始まったいつも通りの生活
祖母が私を許してくれたかどうかはわかりません。
翌日からはまた何もなかったかのように祖母は振る舞い、私は2度とあのような心無い言葉も口に出さず、仲良く過ごしました。
祖母が亡くなったのは、それから3年後くらい。
亡くなるまで、祖母の私への態度は変わらず、普通のおばあちゃんと孫の関係だったと思います。
私の救いは、祖母が亡くなったのが私の心無い言葉の直後ではなかったこと。
祖母に酷い言葉を投げかけた一連の出来事から小学生の私が学んだことは、以下の4点です。
- 一度口に出した言葉は決して取り消せない。
- 言葉を発する時はよく考えて慎重に。
- 人間はいつ別れが来るかわからない。
- 後で悔やまないために、絶対に酷い言葉や失礼な言葉を言わない。
還暦を過ぎ、年齢を経るにつれ、ますます強く感じるようになったこと
年末年始やお盆休みに田舎へ帰ると、姉の孫とよく会います。
孫は、普段から周りの大人たちから可愛がられ、ちやほやされるので怖いものなしです。
一方、隠居している祖父母は、高齢ということで労られ大事にはされますが、以前のような発言力はなくなり、養ってもらっている人。
彼らを見ていて、孫というのは可愛い反面、意外と横暴でわがままなものだなぁと思ったのでした。
私に欠けていたお年寄りを尊ぶ心
お年寄りを尊んでいないわけではありません。だけども咄嗟にものすごく心ない言葉を言ってしまいました。思ったことをつい、そのまま口に出してしまったのです。
言葉というのは、一度口に出してしまったらもう引っこめることはできません。本当に今は反省しています。
私にはまだ孫はいませんが、自分がもし祖母と同じような目に遭ったら、悲しい、ショック、情けない、悔しい、腹立たしい……きっとそれら全てを感じることでしょう。
もっともっと思い遣りのある人間にならねばと思う、志久場くるみ(@shikubakurumi)でした。
くるみの昔話、よかったら読んでいってくださいね。
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