今ならわかる、あの時の母の気持ち

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昔むかしの思い出話
Denythumb / Pixabay



私が小学3年の時のことです。

一緒に暮らしていた祖父が亡くなりました。
お通夜や葬式の準備で、大人達はとても忙しそうでした。
祖父には子どもが四人いて、私の父が長男。
あとは娘が三人でした。

 

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昔の葬式は今よりも大変だった

現代の葬式とか通夜は、葬儀所や公共の施設を借りて行われたりします。でも昔は、殆ど自宅で行いました。

参列者に振る舞われる料理は、さすがに料亭や仕出し屋からとります。けれども葬式前に集まってきた親族の食事や寝床の提供などは全て、その家の主婦が行わなければならないのです。

葬式なんて、前もって予想できることではありません。有無を言わさず、急な寝具の用意やら食料品調達やらが必要でした。

 

非日常的な世界とお茶

不謹慎かもしれませんが、私達子どもは、久々に会えたことが嬉しく、祖父の死もなんだか、現実ではない別の世界の出来事のような気がしていました。

お通夜を数時間後に控えていた時、伯母が、「お茶が飲みたい」と言いました。

そばにいた私は、すぐに台所に行き、冷蔵庫のピッチャーから“麦茶”を出し、グラスに注いで伯母に渡します。

ありがとうと言いながらグラスを口に持っていった伯母。

臭いをかいで、「これ、お茶じゃないよ」と言いました。

 

良い所を見せるつもりが逆効果

9歳の私としては、大人達の役に立てて嬉しかったのに、瞬時に、その悦びは消えてしまいました。

敏感な方ならお察しかもしれません。

そう。私が麦茶だと思って注いだのは、実は素麺のつゆだったのです!

素麺がよく食卓に載る季節。母が、素麺用のつゆをたくさん作って冷蔵庫で保存していたのでした。

台所に戻ると、母が、ものすごく怖い顔で、私を叱りました。
叱るというより、ヒステリックな怒り方でした。

私は思わず涙ぐみ、涙を浮かべたまま、伯母にお茶を運びました。

私だって、自分の失敗が身に堪えていました。
親類の伯母さんにいいところを見せようとして、逆にドジをふんでしまった……。
更に、イライラしている母親からは、こっぴどく叱られ……。
何といって叱られたか覚えてはいないのですが、とにかく罵倒されました。

情けないやら、悲しいやら、辛いやら。

私は言葉が出ませんでした。

 

なぜか記憶に残っている、父の言葉

涙ぐむ私を見て父が一言、「あ~あ、涙を浮かべて~」

ちょっと同情的でした。

おそらく父は、お客もいることだし、私の扱いに困ったのでしょう。イライラしている母には遠慮し、お客である自分の姉の手前、父としては、こうやって茶化すほかなかったのかもしれません。

 

当分の間母を恨んだけれど、今ならわかる

いくらなんでも、あんな怒り方をしなくても……。
私は母を恨みました。

でも、大人になり、嫁ともなった今なら、あの時の母の気持ちもわかるのです。

嫁である母は、一人で料理をし、客の応対をし、私達子どもの世話もしなければなりませんでした。

逆に、嫁に行った伯母達は、親の葬式に来ても気楽な立場でした。

そんな中で、自分自身も初めての葬式の準備をしなければならないのですから、不公平感は拭えないでしょう。

外に嫁いだ伯母達は、嫁である母に対して、口は出しても手は出さない(つまり、手伝わないということ)のです。
母がヒステリックになったのも無理はないでしょう。

 

それにしても、あんな怒られ方はしたくなかったなあ!

伯母達も、母も、そして父も、既に鬼籍。

あの世で母に再会した時には、この話をしたいものだ、と思うのです。

 

母に叱られた思い出がありすぎて、度々過去の記事でも登場しています。良かったら読んで笑ってください。

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