しつこいようですが今日も、先日のM-1グランプリ関連騒動について、考えたことを書かせていただきます。
騒動は収まりつつあるかもしれないが、私の中ではまだ終わっていない
M-1グランプリ後の一連の騒動は一応収束したかに見えます。しかしまだまだ火種は残っているのではないでしょうか?
私はとろサーモンとスーパーマラドーナは面白いとは思いますが、実はもっと好きな芸人が何組かいます。
それでも、彼らの気持ちはものすごくよくわかるし、彼らもわざと放送事故を仕組んだわけではなく、本当にお酒のせいだったと思うのです。誰だって、不満やストレスはお酒を飲みながら喋りまくって発散させるじゃないですか。
評価は公平でないといけない!
どこの世界でも同じなのですね。
お笑い界で売れていくためには、実力と運が必要……それくらいはど素人の私にもわかります。
実力は当人の才能、キャラクターと努力のたまものでしょう。
そして運は相方、引き立ててくれる先輩芸人に恵まれていること、大御所芸人から気に入られることを含んでいると思います。
そこで漫才の審査員に求められる条件を私なりに考えてみました。
漫才について知識や経験の豊富な人
審査をするのですから、やはり専門的な知識は必要です。
漫才という、日本の素晴らしい芸能を大切にしていくためにも、正統派と言われる名人級の審査も必要でしょう。
審査の点の中で、基準点みたいなものですね。
漫才の審査をする人はまず的確な審査でなければなりません。
審査員を務める人は、人格も立派であるべき
審査員は私情や個人的な好みを交えることなく、公平なジャッジができること。そして先輩芸人として、若手芸人を導き指導できる人でなければなりません。
辛口ジャッジをするだけでなく、彼らを育てる寛容さと優しさもないといけないのではないかと思います。
若手芸人も、尊敬できる審査員からの厳しい審査なら、きっとありがたく受け止め、後にしこりや不満を残すこともないでしょう。
大衆の視点でもお笑いをみることができる人
大雑把にいうと以上の2点ですが、私はもう一つの条件を追加したいと思います。
それは、漫才の専門的な知識は別にして、漫才を専門家の視点だけでなく、一般人の視点からも観ることができる人。
高尚で専門的なことも大事かもしれませんが、ある程度大衆受けすることも重要な要素だと思うのです。
お笑いがより一層発展していける体制づくりをしてほしい
今や、漫才を含めお笑いは我が国で広く浸透しています。私のようなど素人の愛好家から、いっぱしの専門家に近い愛好家まで、層も厚いです。
視聴者が置いてけぼりにならない、みんなが面白いと思う芸人が活躍できるお笑い界になってほしいです。

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