嫌なことを嫌と言えない性格
子どもの頃から、嫌なことを嫌と言えない損な性格でした。
今でも、なぜ嫌と言わなかったんだ!と後悔する場面がしょっちゅうあります。
本当は嫌なのに表に出さず、相手に従ってもロクなことがないのは、何度も学習してきたはずなのに…。
なぜ嫌なものを嫌と言えないのか?
なぜ嫌なものを嫌とハッキリ言えないのか、私なりに分析してみました。
①子どもの頃から、自分の意志を抑えて他人に合わせる習慣が私にはあった。
他人に合わせる性質は、もしかしたら兄弟や親との力関係によって形成されたものなのかも?
だから、少々他人の言い分をのみ込んだところで、慣れっこで、どうってことはないと思っていた。
②自分さえ我慢すれば波風が立たないというのが、私の中にしみこんでいる。
大人になってからも、波風立てないのが大人の振る舞いだと思ってきた。
これについては今でもそう思っている。
③他人から嫌われたくない。
その「他人」が自分にとってどんなにどうでもいい人間であっても、嫌われることが怖い。
どうやら、これが私の根底にあるものらしい。
空気のような、風のような存在感
でも、だんだん空しくなってきました。
他人に嫌われないというだけの人間でいることに意味はあるのか?と。
こんな私だから、敵は殆ど作りません。
だからといって、皆から好かれるわけではありません。
空気のような、風のような存在感で、ただそこにいるだけ。
自分を変えなきゃ!と思う私だけど
正直言って私は、言いたいことを言う人間はあまり好きではありません。
言いたいことを言う人にも色々あります。
言うべきことを言う人…が理想です。
言いたい放題言うのとは違います。
「鎧がまとえたらいいのにな」
よくそう思います。
1度でいいから、怖いものなしの人間になりたい……。
まあこれは叶わぬ夢なのでしょう。
言いたいことを言う人には、嫌われている人も多いかも。
言いたいことを言って嫌われる人と言いたいことを言っても嫌われない人の違いは何なのでしょう?
突き詰めて考えてみる
私の周りで、言いたいことを言って嫌われる人は、自分の利益しか考えない人が多いです。
そして、「言うこと」の中身が「イチャモン」のように聞こえる人、または実際にそういうことを言ってる人。
言いたいことを言っても嫌われない人は、きっと正しいことを言ってる人。
自分はどうあれ、他人のために敢えて言う人。
嫌われる人は、少なくとも存在感があると言える
言いたいことが言えずに、後で後悔ばかりの私。
後で後悔なんかするくらいなら、言いたいことを言ってしまえばいいじゃないか?
嫌われたくない?
嫌われるのを怖れて言いたいことを言わないで、結局好かれもしないのなら、言いたいことを言って嫌われた方がずっといいんじゃないか?
嫌われる人は、少なくとも皆の印象に残っているということだから。
空気のような存在感で、誰にも気にされない人間よりよっぽどいいんじゃないか?
今日は、朝からこのテーマが頭の中をグルグル回っていたのです。
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