おはようございます、志久場くるみ(@shikubakurumi)です。
半世紀以上も昔の家長制度が主流だった頃のお話をさせてください。
家長制度に無縁だった方が圧倒的だと思いますが、「日本にはこんな時代もあったのか〜」と思いながら読んでいただけたら。
結婚したばかりの頃の私が姑から聞いた話
私の夫は地方の農家の生まれ。彼が5歳くらいの時のお話です。
当時の日本は、家長が一家の中で絶対的な権力を持っていました。
私は実際には知らないのですが、働き盛りの息子が跡を継いでいても尚、家長は交代しませんでした。
家長制度とは?
その家の財産ほかあらゆる権限を全て長男が相続するという制度のこと。
戦争が終わると廃止はされたものの、一部の家には根強く残っていたようです。
ある日、孫が39度の高熱が下がらなくなってしまった。
幼い夫(孫)が、熱が下がらず苦しんだ時があったそうです。
普通ならすぐに医者に見せに行くところです。しかし家長である、夫の祖父が「医者に見せる必要は無い!」と言うのだそうです。
まだ幼い孫が高熱でぐったりしているのに…。
その話を私にした時の姑の口調は、とても恨めしそうでした。
私も同感でした。幼児は弱いので、放っておいて治るとは思いません。
家長である、夫の祖父はとても冷酷な人なのか、あるいはものすごくケチな人なのか……?そう、思いました。
「小さい子は病気になると、一晩で持っていかれるよ」
私がこの言葉に強く反応してしまったのは、夫の祖父の影響も受けているかもしれません。

為すすべもなく、姑が運を天に任せた時、事態は一変
当時、国鉄職員と農業を兼職していた、夫の父が夜勤から帰って来て息子の病状を聞いたのでした。
つまり、私から見ると舅ですね。
舅はすぐさま、息子を抱いて病院に走りました。
昔で田舎のことなので、病院らしい病院などなかったかもしれません。
でも舅は、「これは大変だ!なんで医者に見せないんだ?!」と言い置いて、行動に移したのでした。
そのおかげで一命をとりとめた夫
夫はそれから熱は下がり、めきめき元気になったそうです。
家長であった舅のやり方は、どうしても私には理解できません。
ただ、当時、子どもはいっぱい生まれても実際に成人する子は少なかったから、家長の舅は、それがわかっていて無駄なお金を使いたくなかったのでしょうか?
家族が単に労働力としか見られていなかった頃のことですから。
これではまるで人でなしではないか?!
現代の感覚では考えられないことです。
だから、昔は小さな子どもが大きくならないうちに大勢亡くなったのでしょう。
今は、医療は過剰なくらいに受けることができます。熱も咳も鼻水も大したことないのに、もっと深刻な病状の人たちで混んでいる病院に、遊びに行く前にちょっと立ち寄る家族を見たことがあります。
重病でもない子どもが来たおかげで、本当に医療を必要としている患者がなかなか診察を受けられない、という現象も。
遊びに行く前に来た子どもは、とっても元気そうでした。
半世紀前の日本と比べ、今の私たちはなんと贅沢になったことか
信じられますか?今日のお話は舞台が田舎とはいえ、ほんの50年前のこと。
死ぬかもしれないという不安や覚悟がなくなったのは、大変幸せなことなのかもしれません。
が、なんとなく、健康とか命とかに対してありがたみが失せているような感じを受けるのは私だけでしょうか?
便利で文化的な今の暮らしですが、私たちは、昔の人たちの苦労や悲しみを少しは想像してみたほうがいいかもしれません。
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