最近読んだ新聞の家庭欄に載っていた、とても興味深い記事
60代の女性の投書と、それに寄せられた様々な意見が、新聞の家庭欄に載っているのを見つけました。
私は、「ついに声をあげる女性が現れたか!」と思わず膝を叩きました。
その投書とは、年末年始に大勢の家族を迎える家庭の主婦が、年末年始の間中、全てを一人でやらなければならないことに疑問を呈したというもの。
それに対して、やはり大勢の女性から賛同の声や、こうしたらいいかも?というアドバイスも寄せられていたのでした。
ついつい考えてしまった自分の帰省の時のこと
私が娘や嫁として帰省していた頃、母や姑は台所仕事や洗濯を一手に引き受けていました。
私がやるのは、三度三度の皿洗いと、自分達の衣類の洗濯。あとは、自分達が寝泊まりする部屋の掃除機かけだけ。
私の実家は年末年始にあまりお客はきませんでしたが、夫の実家では、夫の兄弟が各々連れて帰る家族に加え、嫁いだ伯母さん叔母さんが来たり、従兄弟が来たり。本当に人の多い家でした。
姑がまだ元気な頃は、おせちを作るのも、年越し蕎麦を作るのも、私達嫁は補助程度で、姑が殆ど一人で作っていました。
私なんかができるのは、三度三度のお皿洗いくらいなもの
そのうち、料理の得意な次男の嫁が中心になって作るようになり、私はその補助とお皿洗い。
でも、舅が亡くなり、姑が老人ホームに入る何年か前、長男の嫁である自分がやらねば、と私は一念発起したのです。
いい悪いは別として、殆ど今までの慣習を真似ればいいだけなので、その点は楽でした。しかしすでに兄弟達の結束も弱く、本当に義理で集まっているだけのようになってしまいました。
やらないといけないからやる、辛さ
私自身、夫の実家で過ごすのは義理でやっているだけで、他の兄弟達も親がいなくなったらもう集まらないつもりらしく、私が中心になって料理をしたのはほんの三年でした。
その間もお皿洗いは依然として私の仕事なので、私も心の中で、「なんで皆食べるだけ食べてさっさと帰るんだ?」と怒っていたのを覚えています。
たった3年だけでも、私のように不平や不満が生じるのです。何十年もやっていれば更なる不満が生まれるのは当然でしょう。
皆が喜んでくれるから、自分ひとりが大変でも耐えられる……母や姑達くらいの世代まではそうだったのかもしれません。
でも、やはり、現代は違うのです。
自分だけを犠牲にしたからといって、それで皆が喜ぶわけがない
家族の中で母親だけが全ての労働を背負い込むなんて、おかしいと思いませんか?
私は大してやってきた人間ではないので、こんなことをいう資格はないのかもしれません。けれどそれでも、世の女性達にはそういう理不尽な負担から解放されてほしい!
そのためには、男女、年齢、立場などに関係なく、皆が自分のできることをする……そういう姿勢こそが本当の家族の団欒を作るのだと思います。
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