母と自分との間に大きな感覚の隔たりがあると気付いてしまった瞬間

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憤るアラカン
urszulam25 / Pixabay



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まだ物事がよくわかってなかった子ども時代のお話

 

私が小学校の1,2年の頃のお話です。
私は、ある日、母の腕時計を壊してしまいました。

決してわざとではありません。うっかり母の時計を持ち歩き、土間に落としてしまったのです。

 

当然、腕時計は壊れました。文字盤のケースのガラスが割れ、時計は動かなくなってしまいました。

 

 

私は母に叱られました。

母の前に正座をさせられ、まず説教です。「なんということをしたのか」と散々怒られ、やっと終わったかと思ったら、「今度は謝れ」と言われました。

悪かったとは思います。ですが頑固な私にはなかなか謝ることができず、ただただ私はうなだれていました。

それでもようやく私は謝りました。

 

 

「ごめんなさい」のどこが悪いんだ?

 

私は母に「ごめんなさい」と謝ったのですが、母からは、「ごめんなさいじゃゆうて、そんな謝りかたがあるか!それは謝る言葉じゃない!」
とまた叱られ、母の怒りは収まるどころか、また燃え上がってしまったのです。

 

 

子どもの私は、ごめんなさい、という言葉を自信を持っていったつもりでした。

本を読むのが大好きだったので、本の中で、子どもが大人にごめんなさいと謝る場面を何度も読んで知っていました。

 

 

そして同時に私は、自分や母の喋っている方言は都会では通用しないということもよくわかっていました。

 

 

母と自分との間のギャップをものすごく感じてしまった瞬間!

 

それが、すごく変なのです!

母は私に、「『こらえてください』と言うものだ」と言ったのです。

でも私には、こらえてくださいなんて、とても言えなかったのです。

 

 

幼いながらも、母と自分との間に、大きな感覚の隔たりがあることに気付いてしまった瞬間でした。

 

 

今考えてもおかしい、こらえてください

 

もっともっと昔なら、そういう謝りかたもあったかもしれません。

おそらく母の子どもの頃には、古めかしい言葉の本しかなかったのでしょう。

 

だから、私がいかにも現代風な、しかも聞き慣れない、いかにも都会的なごめんなさいなどという言葉を使ったのが生意気に見えて我慢できなかったのでしょう。

 

この年齢になった今、当時のことをつらつらと考えるのですが、やはり私は自分が間違っていたとはどうしても思えないのです。

 

今は鬼籍に入ってしまった母、昔の母親の苦労に思いをはせて

 

きっと母は主婦業、母親業、嫁業、夫の店の手伝い等で大変だったのでしょう。いろんなプレッシャーでいっぱいいっぱいだったのではないかと、今の私には理解できるのです。

私はこのことを半世紀以上も経っても覚えていましたが、母はすぐに忘れてしまったことでしょう。

 

そう考えると、子どもって損な立場だなあと思います。

そして、私が自分の子ども達にどんな理不尽なことを押し付けただろうかと考えると、きっとたくさんあったのではないか?という気がするのです。

今度娘達に会ったらそれを訊いてみようと思ったのでした。

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